開かれた魔法

本は開かれている。時を超えて、国を超えて。自分の枠を超えてどこまでも行ける気がする。そんな本の魅力にとりつかれた女子の書評ブログ。

秘密の花園

大人の言うことが常に正しい訳ではないと悟ったのは中学のときだった。親、学校の先生、ニュースキャスター。そういう正しいことを教えてくれそうな人達だって間違えることがあるという事実に、私は少し悲しい気持ちになった。

だが成人式を迎える頃には、「そりゃそうだ。何の試験もなく大人になれるんだから、大人に正しさを求める方が無理がある。」と開き直ってしまった。
その中間にいた高校生の私の心の内は、ふつふつとしていた。世の中の常識、自分のルーツと未来、一つ一つを切り取ってみては「どうして」と問いかけていた。今思うと、何が真実か、何が本質かを自分で見極めないといけないという危機感にかられていたのかもしれない。

三浦しをん著『秘密の花園』はカトリック系の女子校に通う3人の少女が語り手となり紡がれていく小説だ。最初の語り手である那由多も「どうして」を繰り返す。

「どうして夕焼けは血の色をしているの。どうして私たちは体液を分泌するの。どうして拒絶と許容の狭間で揺れ動く精神を持って生まれたの。」
那由多には自分の体の奥から水の音が聞こえる。全てを押し流そうとする洪水が彼女の中でうねっているのだ。
那由多は幼い頃訪れたおもちゃ売り場で性的ないたずらを受けた。父にはお前がふらふらしているからだと言われ、母には打ち明けられず、悶々ととした思いが心の底に溜まっていった。そして母は、なゆちゃんはお母さんがいないと駄目ねと言い残し病気で亡くなってしまう。

行き場のない感情の処理の仕方がわからない彼女が空想するのはノアの箱舟だ。洪水の後、何もない大地を見てノアは何を思ったのだろうかと。

「洪水は何もかもを押し流しはしなかったわ。ノアが放った鳩は、オリーブの葉をくわえて戻ってきた」
那由多の問いにそう返すのは、クラスメイトであり最後の語り手である翠(すい)だ。
期待なんて生まれぬよう全てを押し流してほしかったのに、と那由多は思う。翠もまた、希望は災厄だとつぶやく。パンドラが開けた箱の中から災厄が飛び出し、最後に残されたのが希望であったのなら、希望も災厄の一つではないかと。

人は期待するから傷つく。期待する気持ちが強いほど傷ついたときの痛みは大きい。でも私達はどれだけ激しい洪水に押し流されて深く傷つけられたとしても、また希望を抱いてしまう。
そのことは彼女達が一番分かっている。那由多は「新しい箱舟には翠も乗っているだろうか」と想像し、翠は那由多から箱舟に乗せる動物を聞かれて「人間」「他の動物と違って、言葉を使ってお互いに近づこうとするから」と答える。
付き合っていた教師から距離を置こうと告げられたもう1人の語り手 淑子は九十九里浜行きの電車に乗る。絶望の淵に立ちながらも彼女の瞳には、彼と訪れるのを夢想した九十九里浜行きの電車が煌々と光って見えた。

パンドラの箱になぜ希望が残されたのか。それは人間がどれだけ災厄に苛まれようと、希望を生み出す力があるからなのかもしれない。その力は神様に与えられたものではなく、人間自らが手にしたものだと私は思う。