開かれた魔法

本は開かれている。時を超えて、国を超えて。自分の枠を超えてどこまでも行ける気がする。そんな本の魅力にとりつかれた女子の書評ブログ。

みかづき

東京には空がないと智恵子は言う。高村光太郎智恵子抄の有名な一節である。

確かに人工の光が散乱する都会の空に星は一つも見えない。でも私達には月がある。
会社帰りにふと見上げた空に月があると、わけもなくほっとする。頑張っていれば誰かが見ていてくれるのかもしれないと、わずかな希望が芽生えてくる。

時は昭和36年。物語は千葉の小学校で幕をあける。用務員の大島吾郎は本職のかたわら、学校の勉強についていけない子供の勉強をみている。いつしか彼の教え方は評判になり、放課後の用務員室は吾郎の補習目当ての子供達で溢れかえっている。
そんな吾郎に教師の才を見出したのは、その小学校に一人娘を通わすシングルマザーの赤坂千明だった。彼女は終戦を迎えた途端授業内容を180度変更した公教育に反発し、公教育とは別の教育の在り方を模索していた。「自分の頭でものを考える力を育みたい」そう願った彼女が目指したのは、塾の創設だった。
千明は半ば強引なやり方で吾郎を引き抜き、千明が母と娘と住む家に転がり込んだ吾郎は、千明と共に八千代塾を開塾し、やがて二人は結婚する。
公の教育という太陽の下では輝けない子供を照らす月でありたい。それは二人が共通して抱く夢だった。その思いで結ばれていたからこそ、千明が一人で別の塾との合併話を進めても、それが世間の塾叩きの風潮を生き抜く術であり、千明自身が家庭の時間を作るためだと知ると、塾長の吾郎はそれを受け入れた。

だが、世間が塾を認め、塾同士の競争が過熱するにつれ、二人の思いはすれ違う。塾として生き残るために受験指導に力を入れたい千明。あくまで補習塾という存在にこだわりたい吾郎。ついに二人は決裂し、吾郎は塾を去ってしまう。

大島家の三人娘もそれぞれ自分の道を歩んでいく。長女蕗子は母が敵対視する学校の教員になる。次女蘭は自らの塾の経営に乗り出すものの、失敗を経て別の道を切り開いていく。三女菜々美はカナダ留学後、国際環境NGOで働き出す。そして蕗子の息子一郎は、あんなに関わりたくなかった教育業界に足を踏み入れることになる。


小学校の頃、中学受験用の問題の解き方が分からなくて泣きべそをかいたことがある。親に怒られても分からなくて、部屋にこもって一人泣いた。どうやら私はバカに生まれてきたのかもしれない、という絶望的な気持ちを今でも覚えている。その後私は結局大学まで卒業できたが、この小説を読んで、勉強の分からない孤独と喪失感を抱いたまま放置される子供の気持ちを考えた。
創成期の塾はそんな子供に寄り添う存在だった。だが今の塾はどうだろうか。受験に向けた英才教育を施し、日本の子供の学力を向上させる必要不可欠であろう。
では学校の勉強が分からない子供はどこに行くのだろうか。経済力の乏しい家庭の子供は塾に通う選択肢もない。このような状況下で学校がゆとり教育を掲げれば、学力格差が拡大するだけで、誰の心にもゆとりを生まなかったのではないかと思う。そんな気持ちで読み進めた中、最後の章で吾郎と千明の孫一郎が、塾に通えない子供のためのスクールを立ち上げる姿に救われた。

大人になった今でこそ分かるが、子供は不自由な部分が大きい。学校と家庭が生活の大半を占めるものの、子供にその選択の自由はほとんどない。居心地が悪いと思っても、どちらも容易に替えられない。
だからこそ私は学校でも家庭でもない、第三の居場所が子供には必要だと思う。親でも学校の先生でもない大人に、私自身励まされてきたことが多かったからだ。
特に中高の家庭教師の先生は大好きだった。国語の読解で取り上げる文学作品について思うことを話すと、あなたの意見は面白いと目を輝かせてくれた。また、文章力があると褒めてくれ、小説を書いてみないかと勧めてくれたのも先生だった。先生がいなければ、このブログを始めることもなかったと心底思う。
先生との時間が心地よかったのは、先生が私をone of them ではなく、一人前の大人として扱ってくれたからだ。私のことをきちんと見てくれている人がいる安心感は、精神的な安定につながったと思う。

学校や家庭で何かあっても、ほっとできる第三の居場所。それは、ふと見上げた空に顔を覗かせる月のような存在だ。
誰かにとっての月になれたら私も嬉しい。