開かれた魔法

本は開かれている。時を超えて、国を超えて。自分の枠を超えてどこまでも行ける気がする。そんな本の魅力にとりつかれた女子の書評ブログ。

くまちゃん

いつ失恋しても心が折れないように、この小説を選んだ。図書館の一角で角田光代著『くまちゃん』のあとがきを読んだとき、こんな小説を求めていたことに気がついた。

「ふられることがいいことだとは思わないけれど、でも、旅を一回するようなことくらいのよさはあると思う」
そんな著者の言葉に背中を押されて読んだ『くまちゃん』は、恋愛真っ最中の方にも、恋心をどこかに忘れてきた方にも勧めたい良著である。

この短編集は、主人公がことごとくふられていく、ふられ小説だ。最初の主人公苑子はくまちゃんにふられ、次の主人公くまちゃんはユリエにふられ、今度はユリエが…というように皆ふられていく。最後の主人公が苑子にふられるのかと思いきや、そう単純ではないのもさすが角田さんである。
恋模様は様々だが、共通して言えるのは、皆ふられた後魅力が倍増していることだ。ふられる直前のユリエをはじめとする女性らは、自分で光るのをやめてしまい、恋人を光らせることで反射的に自分を光らせようとしている。けれど恋の終わりに気づき、自分からその場を去って新しい職場で一から働き出す彼女達の姿はどこか凛々しい。一方男性陣は初めて本当の恋を知ったときにふられてしまう。けれど失恋の相手の幸せを心の片隅で願える程、器が大きい良い男に成長しているから、失恋も悪くないなと思う。

特に最初の短編で失恋した23歳の主人公苑子の10年後の姿が逞しくて好きだ。
23歳の苑子は、あるアーティストに陶酔するくまちゃんに恋をするが、いつのまにかくまちゃんは苑子の家に来なくなり、恋人のようで恋人でない二人の関係は終わりを迎える。その数年後、苑子は旅先のベルリンで偶然訪れた個展の会場で、くまちゃんのことを思い出す。非凡なアーティストに魅せられて、自らも非凡になろうとしていたくまちゃんのことを。
「今なら私、あなたのことが少しわかるよ。ふつうで平和な毎日が、けっして私をだめになんかしないと、そういう日々の先に私にしか手に入れられないものがあるらしいと知った今ならば、わかるよ、あなたのことが。くまちゃん。」
33歳の苑子は長年勤めた会社をやめ、元有名料理人で今はすっかり落ちぶれた恋人文太と二人、熱海に引越し、住み込みで賄い作りをすることを決意する。文太を連れていくな、あなたも仕事を辞めるのはもったいないだろう、と文太の幼馴染である久信から言われた苑子はこう言い放つ。
「私はもう知ってるんだもの、地味とかみみっちいとか、キャリアとかお給料とか、人生になーんにも関係ないんだって。なりたいものになるにはさ、自分で、目の前の一個一個、自分で選んで、やっつけていかなきゃならないと思うの。」
そして、久信の中にある文太への感情が恋の原型ではないかと見抜いてしまう。かつてのくまちゃんのあるアーティストへの想いのような、まっすぐな気持ちを。
きっとくまちゃんへの失恋がなかったら、苑子は久信の心情を読みとることもなく、久信が苑子の前で自分の想いをあらわにしながらおいおい泣くこともなく、文太と苑子が熱海に引っ越した後久信と苑子がメールでやりとりすることもなかったろう。
不思議だ。いっぱい泣かされたあのときの失恋が、いつか誰かの心を凪ぐ風になるかもしれないなんて。