開かれた魔法

本は開かれている。時を超えて、国を超えて。自分の枠を超えてどこまでも行ける気がする。そんな本の魅力にとりつかれた女子の書評ブログ。

炎上する君

人生という旅路の途中でつまずくタイプの人間は、ある意味真面目過ぎるのだと思う。

社会の暗黙のルールに疑問を持ったとしても、答えの得られない疑問は素通りして、自分が疑問を持ったことさえ忘れて生活できる人もいる。その一方で、まるで心の港にいかりがかかったかのように、答えのない疑問がいつまでも胸中に停留しているタイプの人間もいるのだ。私はどちらかというと後者の方である。
小学生の頃、なぜ人は顔を洗うのか疑問に思い、中高生の頃は化粧を始める同級生に違和感を覚えた。他人と会っても恥ずかしくないように身嗜みを整える、というのが答えなのかもしれない。だがこの答えは、「化粧をすれば恥ずかしくない見た目になるのか?」「化粧をした顔が美しいと決めたのは誰なのか?」「私は一体誰のために化粧をするのか?」という新たな問いを生み、私は迷子になった。 
 
西加奈子の「炎上する君」は、社会に敷かれたレールの上を歩くのに戸惑い、立ち止まったり、レールから外れて生きる人達を描いている。時にユーモラスに、時に胸を射抜く銃弾のように鋭く。
私達は、カフカの変身の主人公のように突然虫になって社会から追放されるようなことはまずない。世の中の固定観念に嫌気がさしたり、他人との関係に傷ついたことで、社会の中で生きることへの抵抗が次第に胸の内で膨れ上がっていくのだ。そして世界に対して開いていた心の扉を閉ざす。
けれど、心の扉を閉ざした人間こそ、他人と深い所で繋がりたいと真に願っているのだと思う。どんなに生きづらいと悩んだり、傷ついたとしても、私達は人肌を求め、他人と交わり、絡み合い、共存することを欲する。この短編集に登場する人物はそれぞれの形で心の扉を再び開き始める。
私の場合、そのきっかけは恋だった。表題作「炎上する君」の梨田と浜中と同じである。世の中の男性全てに可愛いと思われたいのではない。ただ、世の中の可愛いは、あの人に可愛いと思われる上での参考例にはなる。綺麗になれなくとも、小綺麗にはなれる。そして自分の顔や体で試行錯誤を繰り返すのが恋する乙女だ。世の中の価値観に縛られていると言えば縛られているのだが、そんなことも忘れてしまうほど没頭するのだ。炎上しているときの自分を私は意外と嫌いではない。
失恋して炎が消えたら?またレールから外れてみたりもするだろう。そうやって行ったりきたりしながらも人間を好きになることはやめられないのだと思う。
 
なんだか世の中息苦しいなあ。
そう感じたときは、昔の知人と話そう。案外皆同じようなことを感じているかもしれない。
違う土地の空気を吸おう。海を超えれば、異なる価値観を持つ人と出会えるかもしれない。
西加奈子を読もう。ちっぽけな自分をまた愛することができるかもしれない。
だって私達はここで生きるのをやめられない。やっぱり人間が好きだから。